お久しぶりです。これまで「絵画」「彫刻」「舞台写真」「舞踏」と様々なアートを紹介してきましたが、「音楽」に関して連載を始めることにしました!今後は「画廊」「インスタレーション」「コラボレーション」「映画」「映像」「演劇」「書評」「コンテンポラリー・ダンス」「デザイン」「建築」「文学」等、いろいろと予定しています。宜しくお願いします。

 

「音楽」といっても何を書くか。まずは「公演評」と「録音評」に分かれるでしょう。ライブハウスやコンサートホール、時には画廊もあります。路上もあるかもしれない。実際の現場で聴いた音楽のレポートは不可欠です。今日ではLP、CDといった媒体では古いのですが、コンピュータに疎い私はCD評くらいしかできないでしょう。

 

時にはライブハウス、レコード屋といった、場所の評も必要になるでしょう。音楽にまつわる書評や写真展覧会もあるかも知れません。勿論、DVDといった映像評も必要となります。映像といえばPVのような音楽が主立つ場合もあれば、映像が主体でも音楽が際立つ場合もあるでしょう。アーティストのインタビュー、故人の発掘など、夢は膨らみます。

 

その内容は何になるか?私が取り扱う「アート」は前衛が主となっています。しかし音楽の前衛となると、クラシックをベースとした現代音楽、ジャズの派生であるアヴァンギャルド、根本から反抗的であるあるロック、インド音楽、環境音楽などだけではなく、分類不可能な音楽も多々あります。そういった音楽も報告したいです。

 

そのためには「これまで書き手が何をどこで聴いてきたか」が重要となります。

Webのオススメタベモノの情報欄の評価の投稿って、何が基準になっているのかが分からない場合が多い。知らない土地へ行って「このラーメン、旨いよ!」という投稿に準じて行ったら全然自分とは合わなかった、なんて場合がありますよね。

 

普段からラーメンばかり食べている人、それにカップラーメンしか含まれていない人、実はフランス料理をよく食べる人などが、同じ意見を持つわけがない。

投稿者が普段何を食べているかまでは記す必要はなくとも、どのような傾向かは知りたいですよね。老舗が好きとか、新しい味でなければダメとか、それぞれのポリシーもあります。

そのようなことを考慮に入れて、シリーズのはじめに、私の経験を綴っていきたいと思います。

 

モダン・ジャズを愛した父、四畳半のラジオ

人間、生まれて最も影響を受けるのは、やはり家族でしょう。父は1930年代後半生まれで、フツーの会社員でしたが、大学時代にジャズが好きになり、特にモダン・ジャズに狂っていました。母は元教員で、テレビやラジオのクラシックを聴く程度で満足していました。

 

音楽に全く興味がない家庭もあることでしょう。

私は弟で、兄がいます。弟とは特に兄に感化されやすい。1970年生まれの私は、レコードプレーヤーとラジオがある環境で育ちました。父は音楽をやりたかったのに出来なかったこともあって、私と兄は小さい頃からピアノを習わされました。キライではなかったのですが、いつの間にかやめてしまう。

 

小学校入学と共に、四畳半の部屋を個室として与えられました。使い古しの小型ラジオを親から貰い、そこで聴きました。AMラジオで、当時の日本の歌謡曲―山口百恵とか沢田研二とか―だったと思います。テレビでも「ザ・ベスト10」だけではなく「ベストヒット100」なんかがあった気がする。レコードを買わずにテレビやラジオで歌謡曲に触れていました。

 

はじめて自分に買って貰ったEPは、「がんばれロボコン!!であったことを良く覚えています。1974年から77年頃です。小学校入学後に体操、3年生から水泳教室に通いました。それまではフツーにアニメを見ていましたが、やがてテレビを見なくなり、母も働きに出て、1人家で留守番している時にレコードをかけてぼーっとしていた記憶があります。

「がんばれロボコン!!」

レコードは「孤独の友人」

つまり私にとって音楽、というかレコードは「孤独の友人」であり、重要な存在だったのです。テレビが嫌いになったのも、好きな番組だけが見たく、恣意的に流しっぱなしにすることがイヤだったのです。聴きたい曲を聴いたら、それで御仕舞い。小学生にしては刹那的ですね(笑)。本やテレビといった視覚的要素よりも聴覚のほうが想像出来て好きでした。

 

この際ですから、実家のEPを調査しました。ゴダイゴが好きだったようです。「ホーリー&ブライト」や銀河鉄道999のテーマ曲である「テイキング・オフ!」は共に1979年です。それにそしてもこの頃の歌詞は、非常に高度です。人間生きることは辛く、厳しく、死に向かっていることが描かれている。映画やアニメもそうでした。

ゴダイゴ「テイキング・オフ!」

例えば奈良橋陽子作詞の「テイキング・オフ」には、「年老いた大地を思い切り蹴って、星たちの彼方へさあ飛び立て」とか、「新しい星を探すのだ」「見慣れた昨日は振り向くな」と、因習的な過去を捨て、自らの手で未来を勝ち取るべきだというメッセージが強調されている。今のアニメには夢もないなあ。このような時代に私は育ったのだった。

 

と、ここまで書いて、私は実際の999のアニメよりも、この曲が生み出す999という対象のイメージが好きだったことに今、気付いたのです。それだけ奈良橋陽子の「戦略」が巧みであったとも言えますが、その後の私の記憶を辿ると、「宇宙戦艦ヤマト」から「機動戦士ガンダム」への意向も、やはり主題歌が印象に残っているのです。

本格的にグレて、ロックへ

小学校4年生以降は、流石に小学校は行っていましたが、実はグレてしまい学校の後に高校生や大学生とゲームセンターで遊んでいたので、家で音楽を聴くことはなくなってしまいました。

批評者として活動すると、この頃遊んでいた『ディグダグ』の電子音を担当した慶野由利子さんと知り合いになりました。グレていても学んでいたのですね(笑)。

 

中学に入ってからは、レンタルレコードに通った気がします。兄が持っているレンタルレコードの鞄が羨ましかった。

オフコースユーミン、中島みゆき等、ヒットチャートに上がりながらも「渋い」アーティストにも憧れたのです。この頃は立て直した家の5畳の部屋で、誕生日に親から買って貰ったラジカセでFM「エアチェック」などもしていました。

 

しかし、日本のバンドには興味がなかなか湧きませんでした。1978年結成のYMOなど、目もくれませんでした。キャンディーズはフォークっぽいし、ピンクレディーのトリッキーな曲は好きでしたが、飽きてしまう。

これが好きっていうのは、なかなか自分では分からないものです。兎も角、直ぐ「飽きる」のが嫌だったのです。

 

フォークソングがダサく感じ、兄に対しても憎しみを覚え(笑)、他の理由で本格的にグレてしまい、中学も「登校拒否」して洋楽に嵌りました。ビートルズよりもローリングストーンズです。夜中は「MTV」や「ベストヒットUSA」。マイケル・ジャクソンよりもプリンスと常に「悪の華」なのですが、パンクやヘヴィメタはやはり飽きてしまうのです。

ローリング・ストーンズ

プリンス

 

イサオちゃんとの出会い、ブリティッシュの王道

つまりアメリカのヒットチャートを追いながらも、どんどん過去へと遡っていったのです。そこで強烈な出会いがありました。

私の実家の六角橋商店街にある「中古レコードタチバナ」の御曹司、イサオちゃんです。イサオちゃんからレッド・ツェッペリンクリームジミ・ヘンドリックスといったブリティッシュの王道を学んだのです。

 

ちなみにタチバナレコードは、今日では六角橋商店街から青葉台に移転、イサオちゃんは健在。こないだ息子達を連れて行きました。私は自宅ではCDですが、子供達にレコードを聞かせてあげたいと思い、7月に実家の近くに引っ越したので、子供用の昭和ライダーやウルトラマンのレコードを月に一枚ずつプレゼントしているのです。(続く)