絶望からの覚醒

私はいち早く大検を取り、大学を受験するが失敗、レベルの違いに愕然とする。この頃はもうセンターだったかな、共通一次か。更にまたクサり、やる気を失う。尚且つ、中二の時から拾って飼っていた愛猫が死に、絶望する。もう希望が見出せない時、買っていながら聴いていなかったロイ・ハーパーのレコードを聴いて覚醒する。やらねばと。

 

ロイ・ハーパー(1941-)はレッド・ツェッペリンの「Ⅲ」の最後の曲「ロイ・ハーパーに脱帽」や、ピンク・フロイド「あなたがここにいてほしい」で一曲ボーカルをとっていることで一部のマニアに知られていますが、ソロアルバムを追いかけて聴く人は少ないでしょう。ロイは単なるフォークロックではないのです。

ロイ・ハーパーのCD

 

雑誌かライナーノーツで読んだ気がしますが、ロイは相当のピッピーというか不良というか、中学生位からイギリスをさ迷っていたようです。投獄もされたらしい。ウキペディアによると、神への懐疑心もあったらしい。詩人でもあります。1967年にレコードデビュー。ポール・マッカートニーやケイト・ブッシュとも共演しています。

 

しかしロイは意外にも音楽のベースはトラッドやブルースだけではなく、マイルス・デイビスのモードに基づいたコード解析だったのです。すると当然、マイルスのバンドのメンバーであったハービー・ハンコックとトニー・ウィリアムスが分析したシュトックハウゼンも視野に入っていたでしょう。ロイの音楽の研究は凄まじいのです。

 

更にロイの全てのアルバムを揃えると、様々なことが分かってきます。まずは初期から三枚目までがフォークから交響曲へと変化すること。四枚目からはプログレに関連していく。1980年代は独自のフォームになる。2005年から8年沈黙し、2013年のMan and Mythは単純なコード進行の中に、何千の曲が込められているように聴こえます。

 

またロイは、ライブにおいて自らの曲を常にその時の自分に合わせて演奏しています。大きな編曲はしないのですが、常に過去の曲が新鮮なのです。

2013年から既に6年が経過しようとしています。ロイの新しいアルバムが待たれます。HPによると、2019年にイギリスツアーを行うようです。行きたいなあ。

兎も角、ロイには注目してください。ユーチューブでも聴くことができますよ。現代は便利ですね。

 

大学でふたたび脱落、大学院へ

何とか憧れの大学に入学しました。しかし、遅すぎた。この頃私は25歳でした。時代もバブルは終わり、何もない平成の時代でした。大学で勉強をしている者などいませんでした。一年目は頑張ったのですが、再び私は集団行動ができなくなりました。

 

更に試練は待ち受けていました。私は外へ出かけることもできないほどのダメージを受けました。本が一冊も読めなくなりました。音楽もピーター・ハミルを聴くことがやっとでした。ロイやマーラーを聴く元気がなくなったのです。全ての過去を否定していたのかも知れません。何とか復帰し、大学を卒業し、大学院に入りました。

 

大学院には大里俊晴が教授でいました。大里の授業は、主に現代音楽でした。私はこの当時、大里がロックバンド「ガセネタの荒野」のメンバーであることを知りませんでした。今ではそれがとても悔やまれますが、大里の著作や剛田武『地下音楽への招待』を読むことで、取り返せると確信しています。作品は不滅なのです。

 

ガセネタの荒野

 

茂木一衞教授の音楽メディアの授業にも参加しました。そこで私はマーラー交響曲第9第一楽章の途中にある、譜面上ではピアニッシモのチェロ一本がどのように録音され、誇張されているのかを50枚の音源を元に研究調査した結果を発表しました。10秒足らずのパートです。聴こえない版や、コンサートホールにいると錯覚させる録音がありました。

 

または、《クリームの素晴らしき世界》のドラムソロ、マイルス・デイビス《ライブエビル》のテープ編集も考察しました。大学院在籍中にゼミ生と同人誌を発行し、そこではマーラー交響曲第10が作曲家ではなくエンジニアによって構築された例を研究しました。メディア論が盛んだった時期です。カルチュラルスタディーズには一種の嫌悪感があります。

 

研究室からアートの現場へ

大学院を修了し、ゼミ室の自主的助手も教授の退官と共に終え、私は活動の本拠地を研究室から画廊へ移行しました。池田龍雄という1928年生まれの、1960年代に活動していたと思い込んでいたアーティストと出会いました。80歳近い池田さんの作品は、20代にしか見えないほど若々しい。池田さんはあらゆる分野のアーティストと交流がありました。

 

そこで私は暗黒舞踏を知ります。公演会場で大学時代の脇川君や中西君と再会し、コンテンポラリー・ダンスも見るようになります。陰猟腐厭原田淳と知り合い、水晶の舟などを紹介されます。陰猟腐厭メンバーの増田直行もまた広くアートパフォーマンスと交流があり、多くの人々を紹介されました。美術、舞踏、ダンス、音楽が繋がっていたのです。

 

水晶の舟と陰猟腐厭

 

その縁で、「水晶の舟」(JAPANOISE RECORDS2005の帯にコピーを書きました。「闇の中に救いはある。柔らかく包み込むのは輝き眼を眩ませる光ではなく、闇の暖かい温度である。そこに眼に映る実在の世界は広がる。水晶の舟は、私達を優しい世界へ導く」。私が忙しく一時期ブランクがありますが、水晶の舟のライブ報告は続けています。

 

小池野豚、曽我傑多田正美向井千恵シェシェズ竹田賢一千野秀一Yas-Kazを筆頭に、様々なアーティストが今でも活動を続けています。地下音楽に、果てはない。同様に、湯浅譲二河合孝治らの現代音楽の領域、清水一登大串孝二らフリージャズにも分類できない、分類を乗り越えたミュージシャン達との出会いが、現在の私を支えています。

 

歌謡曲、ロック、現代音楽、ジャズ、ブルース、ソウル、クラシック、インド音楽と渡り歩いてきました。社会に出ても常に絶望の繰り返しで、常に音楽が支えてくれました。もうだめかと思った時にロベルト・シューマンの交響曲全4に出会って救われました。やはり、エリアフ・インバルの指揮でした。

 

結婚してからは、ロイ・ハーパー、ピーター・ハミル、グスタフ・マーラー、マイルス・デイビス等の、これまで聴きこんで来た曲を更に繰り返し聴いて、追憶ではなく理解を深めました。特にレッド・ツェッペリンのラストツアーの海賊版を買い込み、ツェッペリンが何を伝えたかったのかの考察に時間を費やしました。

 

長男が生まれた頃はロイ・ハーパーの《Man and Myth》が出た頃だったので、思い出深いです。この後、ディスクユニオンでインド音楽のCDが30枚、格安で出ていたチャンスをモノにしました。著名だが聴き込んだことのないニキル・バネルジーがそこに含まれていました。私が知らないインド音楽のミュージシャン達の素晴らしい演奏に魅了されました。

ロイ・ハーパー《Man and Myth》

 

ニキル・バネルジー

 

明けても暮れても兎に角インド音楽。次男が誕生しても、この傾向は続きました。途中、ドイツに行く際に頭を過ぎった交響曲のワンフレーズを確認する為にクラシックを聴き直しましたが、息苦しくて苦痛だったのです。その曲がブーレーズ指揮、ドミニク・ミュジュカル演奏のシェーンベルク《室内交響曲第一番》であることは突き止めました。

 

凡そ三年の時を経て、クラシックに復旧しました。ワルター選集を聴いていると、モーツアルトの後期交響曲が次男の喃語にクリソツであることに気付いたのです。モーツアルトが世界で愛される理由はここにあると確信しました。ここからモーツアルトに嵌ります。交響曲全集もたった1000円で手に入れることができました。

 

ワルター選集

 

これまで聴いてきたモーツアルトのヴァイオリンソナタ、ピアノ曲に加えて交響曲、弦楽四重奏、ピアノ協奏曲と進めてきたのですが、カザルス指揮のバッハ《ブランデンブルク協奏曲》も好きなので久しぶりに聴いたら、何とカスカスに感じてしまったことか。突然、ベートーヴェンの交響曲が聴きたくなりました。

ベートーヴェン交響曲全集

 

そして聴いたらビックリ!第七番第三楽章はレッド・ツェッペリンの《テン・イヤーズ・ゴーン》に、第八番第四楽章は同じくツェッペリンの《胸一杯に愛を》にソックリなのです。最近はシューベルトです。私の音楽の探求はまだまだ続きます。長かったのですが、私のこれまで音楽遍歴は以上です。これからも変化し続けることでしょう。

 

<連載「音楽編」終了>